春夏秋冬を問わず「登山時の道迷い遭難(未遂含む)」は、必ず毎年どこかの山で発生している。山登りをしたことがない人にとっては「なんで?」と思うかもだが、十分に気を付けているつもりでも、フッと気づいたらこのような事態になっていたということもあるのだろうと思う。
何を隠そう、私自身が5年ほど前にそのような事態に陥ったからだ!
今回は、改めて自身の戒めと、このブログを読んでいただいている登山を趣味としている方々に、私と同じような事態に陥らないことを願って、私の体験事例を紹介することにした。
このブログで得られる情報
- 道迷いが発生した経緯(私のケース)と原因
- 道迷いに陥った時の心理
- 道迷い → 遭難に至らないためのヒント
- 道迷いに対する対策
道間違いの場合
登山を趣味としている人ならば、軽度の道間違いはだれでも経験したことがあるのではないだろうか?
私の経験上、北アルプス等のように、多少難易度が高くても登山者が多い有名な山では、道間違いは少ない。また、仮に間違ったとしても、標識が縦横無尽にあるので、すぐに気づいてリカバリーすることができる。
道間違いが多いのは、地方の1000m前後のマイナーな里山の方だ。里山は、獣道や山仕事用の古い林道跡等が入り乱れていることが多い。
おまけにマイナーなので登山者の踏み跡も薄く、正しい登山道を見つけるのが非常に困難な時がある。
私は普段はこのようなマイナーな山を好んで登っており、今でも間違えることはある。だが、スマホにGPS地図アプリを導入したので、すぐにリカバリーすることができている。
道迷いの場合
道間違い程度なら修正して正しい道に戻ればいいので大した問題にはならない。
チョット時間をロスするだけだ。
問題は道迷いだ!
道迷いは道間違いと違って、完全に道をロストしてしまった状態を指す。現在地もはっきりしない状態だ。こうなると状況は格段に悪くなる。
ちなみに、道迷いはたいがい下山中に発生する。なぜならば、登りは頂点に向かって面が収束していくのに対し、下りはすそ野が広がっていくので面も膨大になるからだ。
だが、里山では道迷いに陥ったとしても、最悪適当に1時間も歩けば何かしらの人工物の手掛かりが見つかり、事なきを得ることが多いだろう。
だが、奥深い山ではそうとは限らない。
私の道迷いケース
5年程前の4月、とある東北地方の1600m級の山にソロで入った。4月と言えば、さすがに登山口付近は雪がないが、標高1000mくらいから上はまだ雪がたっぷりとついている。
この日は登りでもこの中途半端な残雪で苦労しており、夏道では登れずに、大きく迂回を余儀なくされて、3時間ほどかけてAM11:00頃には登頂した。もちろん私以外誰もいないし、足跡もなかったので、しばらく人が登った気配すらなかった。
気温が高く天気も良かったので、頂上で1時間ほどのんびりしてから、下山にとりかかった。視界がよかったので、方向だけを確認して歩きはじめた。登りにつけた自分の足跡もあるし、何の不安もなく下って行った。
ほどなくして、ガスが湧いてきて視界が悪くなってきた。と同時に、登りの足跡が消えてきた。気温が高かったので、足跡がなくなるほど雪が解けたのだろう。
それでも記憶を頼りに2時間ほど下っていたが、登山口につく気配すらなく、完全に迷った状態になった。
実はこの頃の私は、「山にGPS機能を持ち込むのは登山のシロウトがやることで邪道だ!」という何とも意固地な考えを持っていたので、スマホも持たず、地図とコンパスで入山していた。しかも、この山は以前夏に一度登ったことがあったので、地図もコンパスも全く使わずに行動していた。これが致命的なミスだった。気づいたら完全に現在地もロストしていたのである。。。
この時、私の心理に起こった興味深い現象があった。以下に紹介する。
道迷い時に起こった現象
- 雪の上の凹凸が自分の足跡だと思い込んでたどってしまう
- ガレ場に突き当たる度に道に見えて下ってしまう
- 大きな岩や木があると、登りにもあったと自分に思い込ませようとする
- 時間の感覚が急に早くなった
- 何度も沢の本流を下った方がいいのではと誘惑に駆られた
思い込み
登りの足跡が消えた後、何度も足跡が現れて救われたような気になった。
だがこれは、春山特有のスプーンカットのような跡で、表面の雪が解けてスカスカになっているような箇所が、まるで登山靴で踏んで跳ね返った雪のように見えたのだった。
そのような模様がいたるところにあったのだが、なぜか自分が思っている方向についている跡だけが都合よく浮かび上がったように見えて、「これが登りに自分が歩いた道だ」と思い込んで歩いてしまうのである。
やがて障害物に阻まれ、明らかに違うと気づくと、また違う道が現れて、「これだ、やっと戻れた。よかった」と進むのであった。これを何度も繰り返した。
さらに、右往左往しているうちに、小さなガレ場(今となっては小さな川の支流だったのだが)に遭遇する場面も多かった。
このガレ場が登山道に見えてしまい、、、これを下っては本流に近づいて、また登り返して・・・を数回繰り返した。ちなみに、本流は実際に見えたのではなく、水の音で察知した。
また、特徴的な大岩や木に遭遇すると、「あ、これは登りで見た。よし戻ってきた」と何度も思い込む、いや思い込ませようとする自分もいたのであった。
時間感覚の変化
これは私も話には聞いてはいたが、実際に自分で体験してみると、非常に危うい心理状態だと感じた。
昼間はまだ焦りはなかった。だが、確かPM15:00を過ぎて、なんとなく夕方の雰囲気がでてきたと感じた瞬間から、時間感覚がとんでもなく急に早くなってきたのである。
この日は日曜日だったので、当時サラリーマンだった私は、翌日の仕事のことだったり、家族のことだったりを考えだして、何としても日が暮れる前に下山しないとまずいと、急に焦り始めたのだった。
ずっと藪漕ぎで疲れているはずなのに、止まっていることが出来ず、ドンドン脚が前に進む感じだった。止まっている時間がもったいないような感覚だった。
沢を下りたがる
「道に迷ったら沢を下るな!尾根に向かって見晴らしの良いところをめざせ!」
これは登山の常識である。道迷い遭難の果ての多くは沢を下って、滝などにぶつかって進退窮まり、無理に崖を降りようとして滑落するというパターンが多い。
これは十分に知っていた。だから何度ガレ場を道と間違えて下っても、沢の本流の気配を感じたら、体に鞭打って登り返した。
だが、この本流の先が、登山口付近で渡った川につながっていることはわかっていたので、いっそ本流まで降りて、そのまま沢を下った方が確実なのでは?という思いに何度も駆られたのだ!
登山の常識を熟知していると自負していた私でも、そのような誘惑に駆られたことは大変な驚きであった。
一般の人だったらそのまま沢を下ることを選んでしまう可能性が高いだろう。
これは本当に恐ろしい心理状態である。
なんとかリカバリー
「道に迷ったら一息入れて落ち着くべきだ」ということを思い出した。足元の残雪もまばらになっており、標高は確実に1000m未満になっていた。
時間がもったいないと打ち消しづづけてきたが、上の言葉に従い、私はあえて腰を下ろし、大休止することにした。
そしてコーヒーとお菓子を食べながら、冷静に地図をじっくり眺め、今まで歩いてきた距離感・地形・支流の数・その場の雰囲気(と言っても完全に藪の中だったが)から、なんとか現在地の目星をつけた。
そして、それ以上は下ることをやめ、水平にトラバースすれば登山道にぶつかるであろうと判断した。
そこからは、冬眠あけの熊に遭遇しないかヒヤヒヤしながら、ひたすらつらい藪漕ぎのトラバースを行い、ようやく登山道に戻れたのであった。
時刻はPM17:00頃になっていた。
登り3時間、下りは5時間という摩訶不思議な登山となった。。。
道迷いからの教訓
私が道迷いに陥った原因と、かろうじて遭難を回避できた理由を以下に書き出してみた。
道迷いの原因
- 地図を見ないで無雪期の記憶だけで行動を続けてしまった
- 何度も自分の行動が正しいと思い込ませようとする正常性バイアスにとらわれた
- 長い登山歴と登山知識に対する慢心があった
遭難を回避できた理由
- 最後まで沢を下ることを拒否した
- 最後は立ち止まって自身を落ち着かせることで冷静になれた
- 過去の遭難記録などをよく読んでいたので、最終的には客観的に判断できた
- 十分な食料や装備を持っていたので、最悪ビバークも覚悟できた
道迷いの原因
地図を一度も見なかったり、登山知識に対する慢心は言語道断であるが、②の正常性バイアスは本当に恐ろしいことだと実感した。
正常性バイアス
簡単に説明すると、厳しい状況下において、脳が都合の悪い情報を無視したり、過小評価したりして、平静を保とうとする人間の認知特性
道に迷ったかも?と感じ始めた時に、何度も踏みとどまるチャンスはあったと思うが、その度に脳が打ち消して行動を続けてしまった。結果として深みにはまってしまったのだ。
遭難を回避できた理由
これは登山知識に対する慢心と矛盾するが、私は月刊誌「山と渓谷」や、遭難記録本の世界で著名な羽根田治氏の本を読む機会があり、この知識を思い出して、最終的には冷静かつ客観的に判断できたことが大きかったと思う。
ただ、いくら知識があっても実践で使えるかどうかは別だ!
本文に記載したように、わかってはいても、何度も沢を下りたがる自分がいた。疲れて登り返すのがおっくうだったというのもあるが、それ以上に後戻りして時間をロスしたくないという心理の方が大きかったように思う。
これは日常生活でも、よくあることなので理解し易いのではないだろうか?
例えば、文章作成中にPCがバグるなどして、同じ作業を最初からやり直す時がそうだ。人はとにかく後ろ向きの作業を嫌う特性があるのだと思う。
対策
以来、私は以下の対策を施した。
道に迷わないための対策
- スマホにGPS登山用地図アプリを導入して携帯する
- ①につながるが、モバイルバッテリーの携帯
- 少しでも不安を感じたらすぐに現在地を確認する(特に下山中)
- 紙の地図(地方の山だと紹介本の概念図で代用することも)を持っていく
あれだけ忌み嫌っていたGPS地図アプリをスマホにインストールした。この効果は抜群だった。
以来、バッテリー切れを起こさない限り、全く迷いそうな気がしなくなった。他の登山者はこんなにも便利なツールを早くから使っていたのかと思ってしまった。。。
また、GPS機能により自分の位置がリアルタイムに動くので、活動の達成感が得られるのも面白く、つい何度も見てしまうので、必然的に③の対策にもつながっている気がする。
もちろん、バッテリー切れ対策としてモバイルバッテリーを持っていくようにしているし、何かしらの紙の地図も合わせて持っていくようにしている。
最後に
毎年、4月が近づくと、この時の苦い記憶が呼び起されてくる。まさか自分がこのような目に合うとは思ってもいなかった。おそらく、遭難した人のだれもがそう思っていながら遭難してしまったのだろうと思う。
現在地もわからず、山の中を彷徨うのはサバイバル的な魅力があったが、とてつもなく心細いものだということを思い知らされた。
何度空飛ぶ鳥になって位置を確認できたらと思ったことか。。。
登山を趣味としている方は、万が一の場合、私の心理状態を是非参考にして行動していただきたい。
私がそうであったように、知っておくことは間違いなく生還の確率を高めることにはなると思う。
まあ、このような状態に陥らないことが一番なのだが。。。
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